2012年10月21日 08:52
日本経済新聞には「経済教室」と銘打ったページがございましてね。なかなか興味深い内容が掲載されているのですが、そのなかでも一番短くて親しみやすい企画が「やさしい経済学-21世紀と文明」でございます。
大学教授を始めとする専門家の皆さまがですね、平易な文章で専門分野のエッセンスとでもいうべきもの短期集中連載で伝えてくれます。ワカリやすいとはいうものの、ワタシも毎回読むわけではございません。興味がソソられた時のみ、ですし、連載を読みきるというのは極めてマレ。
で、平成20年3月4日から13日までの8日間に渡って連載されました東京大学教授西垣通さまの「生命的な情報組織」は切抜きまでしちゃいました、ワタシ。
「生命的な情報組織」という言葉には正直魅かれるものはございませんでした。第1回目の小見出しが「ウェブ上の人格」でございまして、これがワタシのハートに火をつけたわけですね。
http://www.youtube.com/watch?v=M_yWyBjDEaU
ドアーズ「ハートに火をつけて」36秒後に馴染みのフレーズが。
結局連載最後までお付き合いしてしまいました。非常に深い考察に包まれることができた、ということで「端萬記」読者の皆さまにご紹介したいな、ということです。
マイとかち初心者のための歴史講座
詳しくは
端萬記は消えちゃうの?
マイとかちは誰のもの/無知蒙昧と蔑まれても
及び「まんぞうのへりくつ」の該当期間を。
携帯でご覧になる方
ネカマの起源が土佐日記の紀貫之まで遡ってしまふ、というのはなかなか興味深い解釈でございますよね。ひらがな、というのは女性の専用文字であって、男性が遣うものではなかった、ということは存じておりましたけれど。ただ、どの時代も新しいものがあれば試してみたい、という欲望は変わらなかったとみえますね。「ぼくだって、遣ってみたかったんだもん!」
ワタシ某ブログで「ぁぃぅぇぉ多用はやめとけ。中年が使って許される表現方法ではないし、今時ネカマも使わんぞ」とご注意を受けたことがございました。そのときは畏まって拝聴したのですが、なるほど、ワタシも紀貫之さまの系譜に属すると考えれば、自然な行動だったのではないかと。・・・んなわけないか。
で、「別人格で発言」なんですけどね。「まんへり」において、このような発言をしたことございました。「虚像とは真剣に話してもむなしい」とのカキコを受けてです。
この場(マイとかち)がワタシにとって一番の自己実現の場だとしたら、それも結構情けないものがあるんじゃないでしょうか。結局はヴァーチャルな実態のない世界ですから。
ここでのワタシは結局虚像に過ぎません。端野萬造というキャラクターをウゴかしているだけですから。虚像と実情のギャップはものすごいことになっているかも、です。
「虚像」ということを問題にされているようですが、実像でなければ存在に意義はないのでしょうか。実像は実像というだけで、価値あることなのでしょうか。それをお伺いしたいですね。
ワタシは「虚像」を真剣に演じております。そのことに嘘はない。身を削って、吐きそうになりながらやっている。
そのことを読者の皆さまにご理解いただいているかどうかは別の問題。それはワタシにとってどうでもいいのです。楽しんでいただいて、「次も萬造のカキコを読みたい」だけで結構なんですから。
大体において、このマイとかちにおいて「実像」で活動されている方がどれくらいいるとお考えなのでしょう。ワタシ以外の方、貴殿も含めて全てなのでしょうか。その根拠はどこにあるのでしょう。
たとえ、実名をさらして活動されている方でも、マイとかちで表現されている姿が「実像」なのかどうかは、ワタシには判断つきません。
あくまでWEB上でのことなのですから。ですから、ここで「実像」がエライだの「虚像」はクダラナイなどの議論は全く意味がないということです。
ワタシは貴殿が実像なのか虚像なのか、全く興味はないですね。ドチラであろうとかまわない。マイとかちで何をやっているか、だけが判断の基準。
現実世界でどれだけご立派な仕事や行為をなされていても、ここでは無関係ですね。だって、ワタシはその事実を知りませんもの。知る必要もないですもの。
ネット上での人格というのは非常にフレキシブルで変幻自在。都合のいいように変えられますし、自覚していないことも多い。そういう方は何かコトが起こるとスグ気分を害されたり、オチこんだりという。ワタシ自身にもそういった傾向は否めません。
でも、別人格でいいんですよぉ。そう考えれば、色々気楽になりませんか。
さて、次のにまいりましょう。
ここで思い出されるのは、やはりマイとかちにおけるアカウント強制停止に関わる一連の騒動でしてね。運営上に問題あり、という部分でワタシは議論を展開していたわけなんですが、それよりもむしろ「アカウント停止自体が無意味」という根本的部分が必要であったのだな、と。「無益な行動はいたずらに不安感や不信感を増幅するだけですよ」
マイとかち初心者のための歴史講座
「代理戦争」'07.09~10のほぼ1ヶ月間。マイとかち史上初めてのアカウント強制停止事件を受けて管理人さま(検事兼裁判官)と萬造(弁護人)との間で繰り広げられた論争。もともとは他人同士のブログコメント上でのいざこざが発端。
詳しくは
端萬記は消えちゃうの?
マイとかちは誰のもの/無知蒙昧と蔑まれても
及び「まんぞうのへりくつ」の該当期間を。
パソコンでご覧になる方
携帯でご覧になる方のために、1ページ目引用欄にリンク貼ってあります。
で、結局アカウントは回復されることなく、caskさまは退場されましたけれど、それは別に反省したり畏まったりしているわけではない。大体において、そのような理由は存在しないのですから。単にメンドくさくなったからですね。その点ワタシはしつこい。絶対に忘れるコトはありません。
でも「ドロドロした悪意」ってなんか怖い。
では、次に参りましょ。ここらあたりから、「生命的な」という部分が登場してまいります。なかなかオモシロいんですよ。
さて、マイとかちは私有財であるか公共財であるか、について。ここらへんの議論は「代理戦争」においてワタシは管理人さまではなく、コメンターの方々と遣り取りをさせていただきました。
ワタシとすれば、マイとかちは公共財に成長した、との立場を未だ崩しておりません。管理人さまの設立者としての歴史は尊重されなければなりませんし、事業受託管理責任者としての収益はしっかり確保すべきである、との認識はあります。一方よりよいマイとかちにするためには、ユーザー自身に責任がある、ということも。
ですから唯々諾々となにもかも受け入れるしかない、ということではないのです。コミュニケーションというものは一方的な関係ではなりたたない。そもそも、マイとかちとはなにものであるか、について自覚的になれば立場や反応や行動は自ずと決まってくるのかなぁ、とも思いますです。
さて、本論「生命的な情報組織」は次記事に続きます。