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2012年10月21日

ネカマのはじまりは土佐日記/「生命的な情報組織」を読み解く

2008年3月21日(金) 06:30 ▼コメント(0)

 日本経済新聞には「経済教室」と銘打ったページがございましてね。なかなか興味深い内容が掲載されているのですが、そのなかでも一番短くて親しみやすい企画が「やさしい経済学-21世紀と文明」でございます。

 大学教授を始めとする専門家の皆さまがですね、平易な文章で専門分野のエッセンスとでもいうべきもの短期集中連載で伝えてくれます。ワカリやすいとはいうものの、ワタシも毎回読むわけではございません。興味がソソられた時のみ、ですし、連載を読みきるというのは極めてマレ。

 で、平成20年3月4日から13日までの8日間に渡って連載されました東京大学教授西垣通さまの「生命的な情報組織」は切抜きまでしちゃいました、ワタシ。

 「生命的な情報組織」という言葉には正直魅かれるものはございませんでした。第1回目の小見出しが「ウェブ上の人格」でございまして、これがワタシのハートに火をつけたわけですね。

http://www.youtube.com/watch?v=M_yWyBjDEaU
 ドアーズ「ハートにをつけて」36秒後に馴染みのフレーズが。

 結局連載最後までお付き合いしてしまいました。非常に深い考察に包まれることができた、ということで「端萬記」読者の皆さまにご紹介したいな、ということです。
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「生命的な情報組織」[1] ウェブ上の人格
【「やさしい経済学」08.03.04日経新聞(朝刊)】

 ブログ人口の伸びはすさまじい。総務省の発表では、2006年3月時点ですでに868万人だった。その半年前、05年9月には473万人だったというから、大変な勢いで増加し続けていることになる。

 おそらく現時点で、ブロガーの数は少なくても1千万人を軽くこしているはずだ。さらに、書かないまでもブログを読んでいる人になると、3千万人以上にのぼるという噂(うわさ)もある。つまり、高齢者や子供をのぞくと、日本人十人のうち、一人か二人はブログを書き、三人以上がブログを読んでいるということになる。こうなれば今や、国民的なメディアになったと言ってもよいだろう。

 だが正確にいうと、この数字は少し怪しいかもしれない。というのは、一人が数人のふりをして幾つかのブログを同時並行的に書いたり、逆に仲のよい数人が一人のふりをして順番に一つのブログを書いたりすることもありうるからだ。書き手はふつう実名でなくハンドルネームを使うし、プロフィルもフィクションの可能性がある。

 言うまでもなく、ブログというのは、インターネットのウェブ上でつける個人的な日記である。昔から日記をつづる人は、それが他人に読まれることを考えて、ちょっとベールをかぶりたくなるようだ。「男もすなる日記というものを、女もしてみむとてするなり」と、のふりをして仮名で土佐日記をつづったのは紀貫之だった。女性のふりをしてネットで発言する男性をネカマ(ネットオカマ)と呼ぶらしいが、ネカマ・ブロガーの心理の系譜は紀貫之までさかのぼる。逆に男性のふりをしてブログをつけている女性も少なくないだろう。いつもと違う自分になるからこそ、かえって本心を書けるのかもしれない。

 誰しも自分のなかに複数の人格をもっている。近年の認知科学や脳化学の研究によると、人間の脳は幾つかのブロックに分かれており、思考自体もとかく矛盾しがちで、首尾一貫した「自己」を見いだすことはむしろ難しいという。だが社会生活においてはそうもいかず、常に一貫した自己を演じ続けなくてはいけない。そこでせめてブログでは、別人格で発言したくなるのではないだろうか

 ネカマの起源が土佐日記の紀貫之まで遡ってしまふ、というのはなかなか興味深い解釈でございますよね。ひらがな、というのは女性の専用文字であって、男性が遣うものではなかった、ということは存じておりましたけれど。ただ、どの時代も新しいものがあれば試してみたい、という欲望は変わらなかったとみえますね。「ぼくだって、遣ってみたかったんだもん!」

 ワタシ某ブログで「ぁぃぅぇぉ多用はやめとけ。中年が使って許される表現方法ではないし、今時ネカマも使わんぞ」とご注意を受けたことがございました。そのときは畏まって拝聴したのですが、なるほど、ワタシも紀貫之さまの系譜に属すると考えれば、自然な行動だったのではないかと。・・・んなわけないか。

 で、「別人格で発言」なんですけどね。「まんへり」において、このような発言をしたことございました。「虚像とは真剣に話してもむなしい」とのカキコを受けてです。

 この場(マイとかち)がワタシにとって一番の自己実現の場だとしたら、それも結構情けないものがあるんじゃないでしょうか。結局はヴァーチャルな実態のない世界ですから。

 ここでのワタシは結局虚像に過ぎません。端野萬造というキャラクターをウゴかしているだけですから。虚像と実情のギャップはものすごいことになっているかも、です。

 「虚像」ということを問題にされているようですが、実像でなければ存在に意義はないのでしょうか。実像は実像というだけで、価値あることなのでしょうか。それをお伺いしたいですね。

 ワタシは「虚像」を真剣に演じております。そのことに嘘はない。身を削って、吐きそうになりながらやっている。

 そのことを読者の皆さまにご理解いただいているかどうかは別の問題。それはワタシにとってどうでもいいのです。楽しんでいただいて、「次も萬造のカキコを読みたい」だけで結構なんですから。

 大体において、このマイとかちにおいて「実像」で活動されている方がどれくらいいるとお考えなのでしょう。ワタシ以外の方、貴殿も含めて全てなのでしょうか。その根拠はどこにあるのでしょう。

 たとえ、実名をさらして活動されている方でも、マイとかちで表現されている姿が「実像」なのかどうかは、ワタシには判断つきません。

 あくまでWEB上でのことなのですから。ですから、ここで「実像」がエライだの「虚像」はクダラナイなどの議論は全く意味がないということです。

 ワタシは貴殿が実像なのか虚像なのか、全く興味はないですね。ドチラであろうとかまわない。マイとかちで何をやっているか、だけが判断の基準。

 現実世界でどれだけご立派な仕事や行為をなされていても、ここでは無関係ですね。だって、ワタシはその事実を知りませんもの。知る必要もないですもの。

 ネット上での人格というのは非常にフレキシブルで変幻自在。都合のいいように変えられますし、自覚していないことも多い。そういう方は何かコトが起こるとスグ気分を害されたり、オチこんだりという。ワタシ自身にもそういった傾向は否めません。

 でも、別人格でいいんですよぉ。そう考えれば、色々気楽になりませんか。

 さて、次のにまいりましょう。


「生命的な情報組織」[2] 分散人格と複合人格
【「やさしい経済学」08.03.05日経新聞(朝刊)】

 ウェブはいま、新たな人間観をつくりだしつつある。ブロガーは、性別や年齢など、いつもとは違う自分になって解放され、匿名で自由に発言したくなる。さらには、ウェブのなかで一人が複数の分散人格と化したり、何人かが集まって一つの複合人格を創(つく)りあげたりすることさえある。

 このこと自体は心情的に理解できる点もあるし、とりたてて責めるべきではないだろう。過度に自己責任が求められる現代において、昼も夜も首尾一貫した自己を維持していくストレスは大変なものだからだ。

 とはいえ、インターネットを21世紀の政治・経済・社会をになう新たなメディアだと考える人々にとって、こういう風潮は困ったものに違いない。近代社会は、主体的に行動し、その責任を負う個人から成り立っている。一般の人々がウェブで自由に意見を発表できるようになったことは進歩だが、当然それには発言責任がともなう。仮に個人が空中分解してしまえば、デモクラシーも崩壊してしまうだろう。皆が匿名の仮面をかぶってウェブで勝手な放言をしたり、他者攻撃を始めたりすれば、もはやインターネット文明の未来はない。そこでは、人間が内に秘めているドロドロした悪意が噴出してしまうのである。

 もともとインターネット文明は楽観的な性善説にもとづいて発達してきた。逆にいえば、犯罪や悪意にたいする防御は弱いのである。たとえば、ネットオークションから詐欺師を排除することが難しいのは、いくらでもハンドルネームを変えて再参入できるためだ。だからネットオークションで大切なのは、信頼できる取引相手を見つけることである。つまり、悪の追放より善の連帯を重んじるのが、インターネット文明の特徴と言える。こうしたオプティミズムに立脚すれば、自由の代償として、責任ある個人という近代的理念がある程度ゆらいでいくのもやむを得ないという、諦(あきら)めの声があがるかもしれない。

 とはいえ、ここでまったく別の考え方もできる。ウェブを通じて近代の個人主義を乗りこえることができるのではないか、という積極的な主張である。たしかに独立した個人は近代社会のベースだが、人間のアトム化が経済的・社会的な格差をはじめ、さまざまな問題を起こしていることも事実である。ウェブにおける分散人格や複合人格という実験を通じて、そこに風穴をあけることができるかもしれないのだ。

 ここで思い出されるのは、やはりマイとかちにおけるアカウント強制停止に関わる一連の騒動でしてね。運営上に問題あり、という部分でワタシは議論を展開していたわけなんですが、それよりもむしろ「アカウント停止自体が無意味」という根本的部分が必要であったのだな、と。「無益な行動はいたずらに不安感や不信感を増幅するだけですよ」

 マイとかち初心者のための歴史講座

 「代理戦争」'07.09~10のほぼ1ヶ月間。マイとかち史上初めてのアカウント強制停止事件を受けて管理人さま(検事兼裁判官)と萬造(弁護人)との間で繰り広げられた論争。もともとは他人同士のブログコメント上でのいざこざが発端。

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マイとかちは誰のもの/無知蒙昧と蔑まれても

 及び「まんぞうのへりくつ」の該当期間を。
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 で、結局アカウントは回復されることなく、caskさまは退場されましたけれど、それは別に反省したり畏まったりしているわけではない。大体において、そのような理由は存在しないのですから。単にメンドくさくなったからですね。その点ワタシはしつこい。絶対に忘れるコトはありません。

 でも「ドロドロした悪意」ってなんか怖い。

 では、次に参りましょ。ここらあたりから、「生命的な」という部分が登場してまいります。なかなかオモシロいんですよ。


「生命的な情報組織」[3] 自律的システム
【「やさしい経済学」08.03.06日経新聞(朝刊)】

 ウェブのなかでは人格をつくりあげることができる。ハンドルネームを使い分け、一人で多様な人格としてブログを書くことができるし、また一方、何人かが集まっていわば複合人格を創(つく)りあげることもできる。さらに、そういうフィクショナルな人格が、ネットオークションで独立した取引主体としてビジネスをすることもできるのだ。

 こうして、インターネット社会では、分別できない絶対的単位としての「個人(インディビジュアル)」という近代社会の大前提がゆらいでいく可能性がある。この問題を、いったいどう考えればよいのだろうか。

 ここでいったん立ち止まり、「情報」や「コミュニケーション」についてよく考え直してみる必要がある。情報というと、誰でもすぐにコンピューターのことを思い浮かべる。もちろんデジタルなIT(情報技術)の重要性は言うまでもないのだが、実はパソコンやケータイなど身近な機器の利用テクニックは、情報にまつわる人間のさまざまな知的分野のほんの一部にすぎない。本当にITを使いこなして文明的飛躍をとげるためには、もっと視野を広げ、生命体や社会とのかかわりにおいてウェブやコンピューターの可能性と限界とをとらえなくてはいけない。

 情報は物質やエネルギーとならんで、宇宙のもっとも根源的な存在だといわれている。そして、面白いことに、情報やコミュニケーションという観点から眺めると、われわれ一人ひとりの人間だけでなく、細胞も、スポーツチームも、企業も、一種の自律的な情報コミュニケーションシステムと見なすことができるのである。言いかえると、個人とは決して絶対的な基本単位ではない。階層的システムのなかの、いわば「中間的な単位」とも考えられるのだ。

 人間の体は60兆個の細胞からできている。生物学的に細胞が生命の基本単位である。それぞれの細胞は独自に生きようとしているわけで、多細胞生物は一種の共生体である。また一方、近代以前、とりわけ太古の時代には、人間は緊密な共同体のなかで集まって生きていた。そこでは個人の自由は厳しく制限されたはずだが、その半面、現代ほどの激しい個人間の競争はなかっただろう。財産もほとんどは共有財で、仮に共同体を束ねる長の所有となっていても、長は単なる管理責任者であり、自分の個人的快楽のために共有財を勝手に消費することなど許されなかったのである。

 さて、マイとかちは私有財であるか公共財であるか、について。ここらへんの議論は「代理戦争」においてワタシは管理人さまではなく、コメンターの方々と遣り取りをさせていただきました。

 ワタシとすれば、マイとかちは公共財に成長した、との立場を未だ崩しておりません。管理人さまの設立者としての歴史は尊重されなければなりませんし、事業受託管理責任者としての収益はしっかり確保すべきである、との認識はあります。一方よりよいマイとかちにするためには、ユーザー自身に責任がある、ということも。

 ですから唯々諾々となにもかも受け入れるしかない、ということではないのです。コミュニケーションというものは一方的な関係ではなりたたない。そもそも、マイとかちとはなにものであるか、について自覚的になれば立場や反応や行動は自ずと決まってくるのかなぁ、とも思いますです。

 さて、本論「生命的な情報組織」は次記事に続きます。




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